最近出た本で、家畜化とエボデボ(進化発生生物学)の話が面白そうだったので。
オオカミとイヌでは身体的、行動的な表現型に様々な違いがある。極端な適応主義では、形質は自然選択の結果で適応的な形質であるとするが、単一の遺伝子が複数の形質に発現する多面発現という現象があるため、「〜を対象とする選択(selection for)」とその副産物である「〜の選択(selection of)」のように、自然選択を受けた形質かどうかを考えなくてはならない。
ベリャーエフは家畜化形質の多くは「従順性」を対象とする選択による副産物だと考え、有名なギンギツネの交配実験を行った。「従順性」のみを対象として人為選択していった結果、毛色のバリエーションの増加、四肢の短縮、垂れ耳、鼻づらの短くなり、繁殖期が長くなるなど、家畜哺乳類に特徴的な形質が現れ、ベリャーエフの見解は強力な証拠を得た。
これらの家畜化に特徴的な形質は、それぞれの種の子どもに典型的な形質である。野生の子どもは野生の成体ほど人間との接触を嫌わない。これはストレス反応と関連する視床下部―下垂体―副腎系(HPA系)が生理的に成熟していないことに関係している。従順性を対象とした選択によって、ペドモルフォーシス(幼形進化)的な発達過程の変化が起き、それぞれの子に特徴的な形質を成体になっても保持するようになった。\b重要なことは、これは集団がもともと持っている累積されてきた隠蔽変異が人為選択による不安定化選択によって表出したものであり、だからこそ家畜化はきわめて短期間に表現型を変化させるということだ。
これらの発生過程は哺乳類で高度に保存されており、他の家畜哺乳類にも共通してみられる。そこで、ヒトも進化の過程でイヌと同じ変化があったのだという自己家畜化仮説が提案された。
現在のところ、ヒトの進化はペドモルフォーシスの範囲ですべてが説明できているわけではない。実際、ヒトに特徴的な直立二足歩行や巨大な脳は、ペドモルフォーシスとは逆にペラモルフォーシス(過成進化)的なのである。しかし、ニューロンの可塑性に関係する髄鞘形成の遅延など、ペドモルフォーシス的な変化の証拠はたくさんある。
人間の自己家畜化仮説で面白い点は、社会的知性仮説とは違う進化のストーリーの可能性である。社会的知性仮説は、ヒトを始めとする高度な社会を形成する霊長類では競争的な社会相互作用の中でマキャベリ的権謀術数が進化において有利だったので社会的な計算に用いられる大脳新皮質が発達したのだという仮説で、社会の大きさと大脳新皮質の大きさが相関関係が見られる。
対して、自己家畜化仮説は、情動に関係する辺縁系を重視し、ストレス反応の低下、攻撃性の低下により協調的な相互作用が促進されたこそが、ヒトの進化の原動力だったとする。最近の研究では、大脳新皮質やそのニューロンは確かにヒトでは最大だが、比率でみた場合は大きさの比率もニューロンの比率も霊長類全体からみて特に抜きん出ているわけではないということだ。辺縁系は最近注目が集まったばかりであるが、チンパンジーとより社会的なボノボでは扁桃体と脳の他の部位との連絡経路に違いがあることが認められていたり、ヒトでは、扁桃体と大脳皮質との連絡の強さも、扁桃体の体積も、個人の社会的ネットワークのサイズと関連するという結果が得られているようだ。
情動を進化の原動力とする自己家畜化仮説はもっと証拠を得るための研究が必要なようだが、ホモ・サピエンスの出現と明白に人間のものだと思われる洗練された文化的なものの間の10万年の開きをうまく説明してくれるかもしれない。言語は個人の形質で出現しても、一人でしゃべるしかないのでダーウィン的ダイナミクスの中では自然選択状の利益を持たない。言語が発達するためには、その能力を作動させる文化的な言語環境があらかじめ存在していなければならないというわけである。自己家畜化による攻撃性の低下が、言語を発達させる文化的足場を作るのに大きな役割を果たしたのかもしれない。
本書全体を通じて、DNAの非コード領域の重要性、表現型可塑性、エピジェネティクスなどエボデボの考えにふれることができた。これらがどの程度進化に関わるかは議論中だが、進化の総合説が今後拡張されていく可能性は十分にあると感じる。進化はホットだな〜というふんわりした感想で終わる。(大体全部にこれ言ってる)