初歩からの無職

生き物をめぐる4つの「なぜ」を読んだ

  • 読んだ
  • 生物学
  • 進化生物学

読んだきっかけ

  • 至近因と究極因の文脈で「ティンバーゲンの4つのなぜ」はたびたび出てくるが、一冊まるまるテーマにしてる本はなかなかないので
  • メルカリで安かった
  • 雄と雌の数をめぐる不思議で長谷川眞理子の一般向け文庫本の読みやすさに期待

目次

  • 第1章 雄と雌
  • 第2章 鳥のさえずり
  • 第3章 鳥の渡り
  • 第4章 光る動物
  • 第5章 親による子の世話
  • 第6章 角と牙
  • 第7章 人間の道徳性

感想

ニコ・ティンバーゲンは、生物学者が生き物の形質や行動を問うときに4つの全く異なる種類の「なぜ」という問いに対する答えを求めているのだと論じた。これが「ティンバーゲンの4つのなぜ(問い)」と呼ばれているものだ。

ある生物現象を説明するにはその現象を引き起こすメカニズムを説明する 至近要因 と、その現象の存在理由を進化的な見方から説明する 究極要因 の大きく2つの立場に分けることができる。そして、至近要因は神経生理学的な メカニズム(原因) とそれがどのように発達していくかという 個体発生(発達) 、究極要因には形質がいかに淘汰上の利益となったのかという 機能(適応) と祖先からの進化史においてどのように発生してきたのかという 系統発生 という、4つの異なるレベルの問いができる1

例えば、第1章では雄と雌、性という生物現象を扱っている。ヒト(哺乳類)で性別という生物現象のメカニズムは、性決定機構としては性染色体、一方の性に特徴的な形質については性ホルモンが関与している。哺乳類はベースとしては雌となるようにプログラムされており、精巣を作る指令を出すSRY遺伝子を持つY染色体を持つ個体が雄になり、Y染色体のないXXは自動的に雌になる2。性染色体は非常に小さいため、原生殖器を精巣にするか卵巣にするかの決定にしか主に関与していない。その後の性差はそれらの生殖腺から分泌される性ホルモンが大きな役割を果たしている。これがヒトの性が分かれることのメカニズムということだ。

次に、ヒトの性差の個体発生を見ていく。思春期になると、生殖腺刺激ホルモン放出ホルモンが規則的に放出されるようになり、生殖腺が発達していくことで雄でも雌でも雄性ホルモンであるテストステロンで骨が急成長する。この骨の成長はまた急に止まるが、それは卵胞ホルモンであるエストロゲン濃度の上昇による骨の末端の骨化による。テストステロンはエストロゲンの前駆物質であり、それぞれの生殖腺からテストステロンが生産されるそばから酵素によってエストロゲンによって変えられていく。女性はエストロゲン濃度が優位になるので、乳房が大きくなり初潮が始まる。男性もエストロゲンによって成長は止まるが、テストステロン優位なので女性的形質は発達せず、男性的な形質が発達する。これが性差の個体発生的な説明となる。

性差はなぜあるのかという機能の視点で、これは性淘汰の話になってくる。端的に言えば、哺乳類は雌が子に対してより多くの投資を行うため潜在的な繁殖速度の差により、雄余りの状態となることが宿命づけられている。そのため、雌との繁殖のチャンスをめぐる雄間闘争に役立つ武器的形質や、雌による配偶者選好に役立つ装飾的形質が適応度に寄与しているのだと考えられる。実際に、闘争で得られる雌の数が大きいほど、性的二型が大きくなっていることがわかっている3

また、性差の他にもそもそも、なぜ性があるのかという機能の視点もある。そもそも無性生殖に比べて有性生殖は子を作るのに2倍のコストがかかる。このため、そのような不都合よりも大きい利益があったのだと考えられる。こちらはまだわかっていないことも多いが、遺伝子修復と寄生者対策という説が有力視されている。前者は有性生殖による遺伝子の組み換えがなければ有害な突然変異が蓄積されやすくなってしまうということで、後者は進化のスピードの早い寄生者に対して常に遺伝子組成を変化させつづけるという対抗戦略という説だ。

系統発生の視点では、生物は無性生殖の単細胞生物から始まったと考えられるので、どこかのタイミングで有性生殖が生じたことになる。ここで無性生殖で増えていく細菌類の接合という現象がヒントになる。これはF因子というものを持つ個体が持たない個体に対して遺伝子を注入する現象で、有性生殖の本質的な要素である遺伝子組成の変化を細菌類も行っているということだ4

性という生物現象に対する4つの問いの例を見てきたが、この本では他に、鳥のさえずりと渡り、生物発光、親による子の世話、角と牙ときて、最後に人間の道徳性に対して4つの視点から迫っている。4領域それぞれにどの程度の知見が溜まっているかというのは生物現象ごとに様々だ。ここで重要なのはこれら4つの領域が対立し合うものではなく、等しく重要であり相補的であるということだ。神経やホルモン、遺伝子レベルの至近メカニズムの解明が科学的であるというイメージが強いが、それだけでは全容を明らかにすることはできないだろう。ある領域の問いがまだ十分に答えが定まらない場合、他の領域の問いを援用することは有益だろう。時に究極要因は非科学的な後付けであるという謂れのない批判を受けることがあるので、この4視点を理解しておくことは大事だと思う。

至近要因の内分泌系の話や発達の話が特に面白く、これらはヒトを考える上で、他の霊長類、哺乳類、脊椎動物などのレベルでどの程度メカニズムを共有しているかという系統的な視点にもつながってくるので掘り下げたいと思った。


  1. この本では、それぞれメカニズムを至近要因, 機能を究極要因, 個体発生を発達要因, 系統発生を系統進化要因としているが、個人的に4つの問いをメカニズムと個体発生を至近要因に、機能と系統発生を究極要因にまとめる方が理解しやすいと思うのでこちらで説明している。

  2. つまり、X一つしかないXOでは雌になり、クラインフェルター症候群などのXXYという例外的な組み合わせでもYがあれば雄になる。このような性決定機構はY優勢型という。Xの数で決まるものはY劣勢型という。

  3. また『家畜化という進化』では、性的二型の発達には性拮抗的選択という要素も重要だとしている。片方の性の表現型にどのような変化が起きても、遺伝的かつ発生的な相関関係により、もう片方の性の表現型も便乗してしまうため、性的二型の発達には一方の性には有益なだけではなく、もう一方の性にとって不利益であることが重要だとする。一生生え変わらない洞角を持つウシ科では多くの種の雌が角を持っているのに対し、毎年生え変わる高コストな枝角を持つシカではトナカイを除き、雌に角は生えないのが好例。

  4. 詳しくはないが、Fプラスミドは性決定因子であり、細菌にも性の概念があるようだ。