『生物と無生物のあいだ』を読んだ

読んだ理由

  • 図書館にあった
  • 書名に聞き覚えがある
  • ウイルスとか生命定義あたりの議論を期待

目次

  • 第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
  • 第2章 アンサング・ヒーロー
  • 第3章 フォー・レター・ワード
  • 第4章 シャルガフのパズル
  • 第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
  • 第6章 ダークサイド・オブ・DNA
  • 第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
  • 第8章 原子が秩序を生み出すとき
  • 第9章 動的平衡とは何か
  • 第10章 タンパク質のかすかな口づけ
  • 第11章 内部の内部は外部である
  • 第12章 細胞膜のダイナミズム
  • 第13章 膜にかたちを与えるもの
  • 第14章 数・タイミング・ノックアウト
  • 第15章 時間という名の解けない折り紙

感想

図書館で見かけてなんか見たことあるタイトルだな?と思ったけど、やっぱりかなり売れた本らしい。生物の定義やウイルスの話などを期待して読んでみた。

しかし、すごい本だった。めちゃくちゃ読ませる文章で一気に読んでしまった。生物の定義の話というと細菌やウイルスなどの世界の話なので、徹頭徹尾ミクロの世界の話が展開されるものだと思っていたが、各章とも生命に迫る研究者達の視点からまるで小説のような描写から始まる。

野口英世が当時捉えようのないもの(ウイルス)を捉えようとしていた話から始まり、DNAが遺伝子の実体であることを発見したオズワルド・エイブリー、DNA中の特定の塩基の数が等しくなるシャルガフの法則を発見したエルヴィン・シャルガフ、DNAの驚異的な複製を可能にした恐ろしくシンプルなポリメラーゼ連鎖反応を発見したキャリー・マリス、DNA二重らせん構造の発見をめぐるジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンズ、そしてロザリンド・フランクリン、生物にはエントロピー増大の法則に抗する何らかのメカニズムがあると予言したエルヴィン・シュレーディンガー、生物の中に「流れ」を見出したルドルフ・シェーンハイマー、細胞内の物質輸送の様態を明らかにしたジョージ・パラーディ、そして細胞膜がなぜダイナミックに変化するのかに迫った著者の研究などを経て、生物とは何かという大きな問いに迫っている。

DNAやタンパク質の形が機能を決定するという考えは今となっては当たり前の話だけど、それを人類が発見するストーリーの部分は生物学の教科書では削ぎ落とされる部分なので読み物としてめちゃくちゃ面白かった。特にDNA二重らせん構造の発見について、フランクリンのX線写真が大きな役割を果たしたことは広く認められているところだけど、クリックとワトソンがそれを入手した経路についての疑惑については知らなかった。

登場人物とその発見は20世紀以降の生物学におけるマイルストーンなのでもちろん真新しいものではなかったのだが、量子力学の巨人の名前が突然出てきたのがいささか意外ではあった。生命現象は最終的には物理学あるいは化学の言葉で説明しうるというシュレーディンガーの予言は、まあそうだよなと思いつつも、物理も化学も理解が浅いのでこの言葉の重みがよくわかっていなかったのかもしれない。ブラウン運動や拡散に見られる原子の統計的なふるまいを考えると、生命体が原子よりも大きいのは参加する粒子を増やして誤差率を少なくするのだということをシュレーディンガーは指摘したのだという。

生物を構成する物質が常に作り変えられ続けているということを重窒素で標識したアミノ酸を使って発見したのがシェーンハイマーだそうだ。シュレーディンガーはすべての物理学的プロセスはエントロピー最大の方向へ動き、生命現象もその例外ではないと予言していたが、生物はこのように流れの中に身を置くことでエントロピーを系の外に出しているのだという。このような展開で、生命とは動的平衡にある流れであると本書では定義している。

著者の研究はこのような生物の動的な平衡の中で、きわめて安定的な細胞膜がどのようにしてダイナミックに変化しているのかを調べるというもので、具体的には膵臓の消化酵素分泌細胞の中で消化酵素を充填した分泌顆粒膜がどのようにして作られているかを探るというものだった。大量に存在しているGP2と名付けられたタンパク質が重要な機能を担っていると思われた。ES細胞が樹立されたことで、多細胞生物の遺伝子ノックアウト実験も可能となり、GP2を完全にノックアウトしたマウスを作製することで、このタンパク質が分泌顆粒膜の形成に役立っていることを証明できると予想したが、実際にはGP2がなくともマウスには特段変化はないようだった。

このような現象は狂牛病の原因と思われるプリオンタンパク質でも見られるという。プリオンタンパク質を完全にノックアウトしたマウスも狂牛病のような症状は起こさない。それを引き起こすのは不完全な異常プリオンタンパク質をノックインされたマウスであった。生物ではある部品を完全にノックアウトされたとしても、動的平衡系が形成過程でそれをバイパスしてバックアップするシステムがいくつかあるようだ。ところが、不完全ながらも接続できてしまうとこのようなバックアップが働かずに、発生が進むにつれてひずみが大きくなり、最後にはネットワーク全体を破壊してしまうということのようだ。

機械は原理的にはどの部品からでも作ることができ、完成した後からでも部品を交換したりできる。それに対して、生物は常に不可逆の時間の流れがあり、二度とやり直すことのできない一回性がある。時間を持たない機械に対して、時間の流れを持つのが生物という違いがある。GP2はおそらく細胞膜に対する重要な役割を持っていて、それをノックアウトしたマウスに何の異変もないことは、ある時点の欠落を動的平衡が見事に埋め合わせたということだ。最後に、明らかにできたことは生命を機械的、操作的に扱うことの不可能性だったときれいにまとめている。

繰り返しになるけど、本当に引き込んでくる文章なので、生物学の事前知識がなくてもたぶんスラスラ読める本だと思う。生命現象に対して、生化学的な記述はよく見るけど、動的平衡は物理学、熱力学的な視点だと思うので、やっぱり満遍なく知識持っとかないといけないなと思った。

 

種延真之

発達をしくじって窮乏生活してるおじさんです。最近の興味はアニメ, 心理学, 進化関係のトピック(進化生物学, 進化心理学, evo-devo), たまに思いついたようにプログラミング勉強したりします(最近はNode.js)。メモ類は→Scrapbox