初歩からの無職

『新版 日本人になった祖先たち』を読んだ

  • 読んだ
  • 人類学
  • 分子人類学

読んだ理由

  • 図書館にあった
  • 船泊遺跡の縄文時代女性の核ゲノム決定されたばかりなので、最新情報がほしい

目次

  • 第1章 遺伝子から私たちのルーツを探る
  • 第2章 アフリカから世界へ――DNAが描く新人の拡散
  • 第3章 DNAが描く人類拡散のシナリオ
  • 第4章 アジアへの展開
  • 第5章 現代日本人の持つDNA
  • 第6章 日本人になった祖先たち
  • 第7章 南北の日本列島集団の成り立ち
  • 第8章 DNAが語る私たちの歴史

感想

図書館で見かけて、てっきり旧版の方かと思ったらなぜか新版のものだったので買った。リクエストとかすれば新書でも仕入れてくれるのだろうか。

分子人類学で日本人形成に至るまでの人類の拡散の様子を解説する本。分子人類学は分子生物学の人類学への応用だが、従来の古人骨の形態学的な解析や考古学とに加えて、DNAの情報を合わせることでより詳細な情報が得られるようになった感じ。特に少ないDNA試料から十分なDNAをコピーすることを可能にしたポリメラーゼ連鎖反応や、塩基配列決定技術では次世代シーケンサーなどの分子生物学の大きなブレークスルーがあり、近年では古人骨のDNA研究が進んでいるようだ。

最近の国内の大きなニュースとしては礼文島の船泊遺跡23号人骨の核ゲノムが決定されたことだろう。冒頭で内容が解説されているが、個人的に意外だったのは、長い間少人数の集団内での婚姻が繰り返されていることが示唆されたこと。礼文島では特に南方の貝や北陸産のヒスイなど広域なモノの移動が確認されていて、ヒトの通婚圏は必ずしもモノの移動と一致しないことなどもDNAの情報から知ることができる。

このように近年のDNAを用いた研究でかなり詳細な情報が得られるようになっており、めちゃくちゃおもしろい分野になっている。僕が古代人が大好きな社会不適合者であることもあるけど、東京国立博物館の縄文展も大変な賑わいだったので、一般の関心もかなり高いのだろう。この本がオススメできるのは、アフリカでの現生人類誕生から出アフリカを経て新大陸やポリネシアに至るまでの初期拡散と、その後の農耕民・牧畜民の流入などの、人類の拡散の全体的な歴史に本の半分くらいを費やしていること。日本人の形成を考えるなら、当然アフリカから出発することになるわけだ。

DNAで集団のルーツを探る方法についてもわかりやすく解説されている。もっとも重要なポイントは、個人が今持っている遺伝子を解析してもその人の祖先すべてについて知ることはできないということだろう。たかだか20世代、約500年遡るだけでも祖先の数は遺伝子の数を圧倒的に凌駕してしまうので、個人の遺伝子から見ると、過去・未来どちらに向けても霧のように拡散していくイメージ。そういうわけで、個人ではなく集団としてルーツを追求する必要がある。

これは減数分裂で両親のDNAがシャッフルされることから来ているので、父親か母親かどちらか片方のみであれば単系統で遡ることが可能ということになり、それがミトコンドリアDNAとY染色体DNAにあたる。ミトコンドリアDNAは父性のものは受精卵で排除されるメカニズムがあるため、したがって母系のみしか遺伝しないことになる。ミトコンドリアDNAは核DNAよりも数が多く、塩基対も短いのでよく研究されている。一方、Y染色体DNAは、雄性決定因子を持つ性染色体なので父から息子にしか遺伝しない。Y染色体はサンプルが男性のみに限られることや、他の染色体よりも小さいとは言え1万6000塩基対のミトコンドリアDNAに対して5000万塩基対にもなるほど長いものなので、本格的な研究は21世紀に入ってからのようだ。

これらのDNAの中の変異で集団をハプログループに分類していったわけだが、Y染色体に先行して1980年代から始まっているミトコンドリアDNAハプログループにはかなりヒッチャカメッチャカになっている印象だ。まだアフリカ単一起源説よりも多地域進化説が主流だったためにアメリカ先住民の方に若い記号が割り当てられていたり、人類の中で最も変異の多いアフリカ集団を最初にひとまとめにしてしまったりと、クラスターの分類に混乱の歴史が刻み込まれていて、自分のような素人目線では全く直感的に読むことができない。そのような背景もあるので、Y染色体ハプログループは早い時期に標準化がされたようだ。

本題の日本人形成については、主流の学説となっている埴原和郎の二重構造説への批判が印象的だった。これは旧石器時代に東南アジアから北上してきた集団が日本列島に進出して基層集団を形成して彼らが縄文人となり、そのまま北上した集団が寒冷地適応を受けた集団の一部が弥生時代の開始期に稲作を携えて北部九州に渡来し、各地に稲作と金属器を広めていく過程で在来の縄文人と混血していき、本土日本人を形成したというシナリオだ。この本での批判は、二重構造説では列島集団の多様性を説明することができないというものだ。二重構造説では、北方ルート、朝鮮半島ルート、南方ルートそれぞれから日本列島に進入した旧石器時代人が、縄文時代中期までには列島内部で均一化したと仮定しているが、そのプロセスに言及はなく、むしろ狩猟採集民たちは南北に長く気候の異なる各地の環境に適応して分化していったのではないかと考えている。また、列島集団の成り立ちに関して北海道と琉球列島も個別に考えることが必要だとしている。実際、現代の本土日本人、アイヌ、琉球集団のミトコンドリアDNAハプログループの間に類似性は認められていないようだし、縄文人の直系の子孫であると考えられがちなアイヌも、アイヌ集団を形成するまでの独自の歴史を抱えているため、縄文人のDNAともちろんイコールではない。全体を通して見ると、DNAデータによる詳細な描写が可能になった時代に、二重構造説の大まかな枠組みで解像度が足りなくなってきているといった感じだろうか。

実際、「我々は縄文人のDNAを受け継いでいる」というのはかなり大雑把な物言いで、縄文時代の列島集団の中でも人口の多かったと思われる東日本ではなく、西日本の集団のものが多いと思われる。一方の弥生人も実に多様な集団で、典型的な渡来系弥生人と見られた北部九州の女性人骨は、源郷である朝鮮半島や中国に近いと思われていたが、核ゲノム解析の結果では現代日本人の範疇に収まり、やや縄文人側だったという。この集団が東進して在来の縄文人を吸収していくのであれば、渡来系弥生人の遺伝的な特徴は現代日本人集団と大陸集団の間に位置していなければ二重構造説では説明がつかないことになる。考古学分野からも古墳時代の渡来が予想されており、この仮定が正しいとすれば現代人につながる集団は古墳時代の遺伝子流入という新たなシナリオが必要なことになる。

この本では折に触れて、DNAを血統や家系と結びつける考え方に警告を発している。実際に、皇室制度などの議論では保守系の政治家が自分たちの主張を支持する証拠として盛んに引っ張られている。

古屋氏は「Yはずっと形が変わらない、続いていく。Xとは違う。男女差別という問題ではなく、あくまでも染色体の科学的根拠がベースだ」と語った。 「Y染色体」に触れ男系継承評価=自民・古屋氏:時事ドットコム

正しい部分が一切含まれない実に情緒ある日本語で震える。Y染色体もX染色体と変異を蓄積していくので、「ずっと形が変わらない」が意味不明である。日本の天皇制にまつわるY染色体のおもしろ雑学というのは「もし本当に男系継承を維持してきたのであれば、ある時代の天皇と今の皇室の男子は同じY染色体の系統にいる」ということだ。仮に完全に男系の継承を維持してきたと仮定すると、Y染色体に変異が生じていない可能性も確かにあるのだが、それは遺伝子的なタイムスケールからみて皇室の歴史がほんの一瞬の浅いものであるからで、これはしばしば恥ずかしげもなく神話時代までカウントに入れるような人達が根拠にするのは不都合じゃないかと心配になってしまう。また、どうも文面からX染色体よりもY染色体に天皇の正統性を担保する特別なものを感じているように見えるのだが、Y染色体はX染色体よりもかなり短く、配列も現在判明している範囲では意味のないものがほとんどで、重要な役割はSRY遺伝子によって胚の発生初期に精巣を作ることである。この万世一系の高貴なキンタマこそが皇室の神聖さを担保するというのは、生殖器がしばしば信仰対象になることを考えるとまあ確かにアリだし面白いので別にいいんだけど。Y染色体については、天皇陵に比定されている遺跡から発掘された人骨から抽出できたものが、実際に今の皇室のものと一致したらたしかにすごい!レベルでいいんじゃないかと思う。ここまでディスってるけど、僕は古墳時代から天皇制を作るまでの古代史がなかなかの好物なので、現代でこれから天皇制をどうしていくのかという話は別にしろ、ストレートに古代の列島人達の営みをストレートに評価してもらいたいところである。

以上、著者の感じてる違和感に勝手に共感して所感をぶちまけたが、著者は家系のアナロジーよりも、DNAを共有するネットワークのアナロジーで捉えるべきだという話を展開している。チンギス・ハーンのDNAを1600万人の現代人が共有しているという研究もあるように歴史時代の大きな人の動きが影響していたり、また地理的に近隣の集団とは多くのDNAを共有しているという話だ。著者は、近隣諸国とは関係が複雑になりがちだが、DNA的に親戚関係にある近隣諸国について「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するのはあながち間違いではないのではないかと提言しているが、これもなんだか美しくまとめすぎなのではという感が否めない。DNA研究から見た人類集団の成り立ちは、日本国憲法前文の正しさを生物学の立場から裏付けているようにも見えるというようなことを言っているのだが、これも「である」から「べし」を導いているように見える。

ともかく、古代DNA研究について全般的な知識が得られるとても読みやすい本だった。核ゲノム解析が可能になってきたことで、これからも古代の解像度はどんどん上がってくるだろうから楽しみ。人骨の資料などがもっと見つかればよいので全国の地面を掘り返すインセンティブが何かないかなとよく考えている。