初歩からの無職

『ニューロダイバーシティと発達障害』を読んだ

  • 読んだ

読んだ理由

  • 「ニューロダイバーシティ」という考え方に興味
  • 表紙の文言が個人的に怖い方向に行ってそう

目次

  • 序章 人は皆、障害を持ったサルである
  • 第1章 洞窟壁画の無名の画家たち
  • 第2章 うわの空のエジソン
  • 第3章 無筆の勝負師 坂田三吉
  • 第4章 癇癪持ちのアインシュタイン
  • 第5章 外国語のできないレオナルド
  • 第6章 古典嫌いのアンデルセン
  • 第7章 付き合いべたなベル
  • 第8章 落ち着きのないディズニー
  • 第9章 遊芸人としてのモーツァルト
  • 第10章 発達障害はなぜ進化したか

感想

発達障害をニューロダイバーシティの観点から捉えなおそうという本。ニューロダイバーシティは脳神経系の多様性であり、この考えのもとではマジョリティである定型はニューロティピカル、マイノリティである発達障害はニューロダイバージェントということになる。社会運動と切り離したニューロダイバーシティそのもののアイデアは議論として正しいように思えるし、著者もニューロダイバーシティに科学的根拠があることをこの本で書こうと思ったと記している。

著者は発達障害は人間固有の生物現象であるとしている。まず、研究のために自閉症モデルのサルを作り出したりはしているものの、自然状態に関するならば、発達障害のサルというのはまったく報告がないということ。さらに、遺伝情報に異常がある場合でも、人間のように外見や行動に異常が見当たらないというのが普通だという。しかしながら、2016年に自閉症スペクトラム症の特性を示すニホンザルが報告されている。著者がこれを知らないはずはないと思うのだが、つい最近出版されたものにも関わらず、まったく触れられていないのが気になる。(2006年の『天才はなぜ生まれるか』の改訂的な位置づけなので、単にアップデート漏れなのかもしれない。)

著者が注目するのは、発達障害が他の遺伝性疾患と比べてその発現頻度が例外的に高いことだ。ここから著者は次のような予測を展開する。発達障害と呼ばれるようになる特性をもつ人々は、人間本来の生活様式の中では少数派ではあったものの、その生活を維持していくために不可欠な役割を果たしていた。ところが、科学技術の発達によって人間の生活様式は激変し、少数派は無用の長物と化してしまった、というものだ。具体的に9つの偉人の事例から、そのようなマイノリティの特性が天才と呼ばれる人々の素地となったと分析している。

この本の表紙を見た時に最も恐れていたのは、「天才達は発達障害だった。だから発達障害は障害ではなく異能を持つ人達なのだ」という安易な議論が展開されるのではないかということだった。「発達障害は障害ではない」ムーブメントは結構身の回りでも起こっていて、有能な発達障害者が自分たちの優れた特性を殺すような社会のシステム側を修正するべきというような感じだと思う。これはまあ正論なのだけど、かといって「じゃあ来週の定期メンテで社会システムの修正パッチ出します」というようなスピードで社会がいい感じに修正されるわけでもない。支援の文脈を断ち切ってしまったまま、社会システムは変わらず発達障害という区分だけ消失してしまうと「じゃ、あなたは障害ではないので自立支援とかも打ち切りますね」と議論も通ってしまうことになり、僕のような無能な発達障害が死んでしまうのではないかと思うので、この問題に関しては多少病的に反応してしまう。この本では幸い、最終的に支援の形をどうするべきか、という議論に着地している。

端的にこの本は学校教育制度批判であると思う。発達障害を量的に見た時に、"ほとんどのことに関しては通常の水準なのだけれども、あることについてのみ劣る"ケースが最も多いという。しかし、学校では読み書きが障害されている場合に全般的な知能が劣っているとみなされ、本人もやる気を失くして落ちこぼれが生産されていくことになる。これに対して著者は、障害の解像度を上げて個々のニーズにあった支援が行えるような研究をしているようだ。脳に局在する障害を判定する効果的なテストの予備的な実験も行われているようである。

取り上げられている天才達が発達障害的な特性を持っていたかどうかは最終的には分からないので、そこに議論の危うさはあるかもしれない。その点、アインシュタインは例外的に脳が保存されており、頭頂葉に障害があったことが分かっているのが興味深い。そこからワーキングメモリの音韻ループが障害され、それを補うように生物の動的平衡系によって視空間スケッチパッドが拡張された結果、宇宙観を刷新するようなアイデアを作り出すことができたのかもしれないというストーリーはかなり興味深い。発達障害の「異能」とはこのような障害された機能をカバーする過程で拡張された機能であり、その特異な技能は進化環境ではマジョリティであるニューロティピカルを補完する役割を担っていた、人類の本来のヴァリエーションという視点は、今後の発達障害の支援を考える上で有用だと思う。