放送大学の「教養は、エネルギーだ。」というコピーについて

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この記事は放送大学Advent Calendar 1日目です。面白かった授業の話でもしようかと思ったのですが、予想通り埋まり具合が芳しくないので、一度全般的な話を書いて余力があれば授業の話を別の日に書こうかなと思います。

教養=エネルギー

放送大学より

さて、放送大学のCMなどに使われているのが「教養は、エネルギーだ。」というキャッチフレーズです。

他にも過去には「教養」は生きるチカラというキャッチフレーズを使っていた時期もあるようです。生きるための力であり、自分を高めるエネルギーであるところの教養というものを放送大学は重視していると取れます。

教養=心の耕作

キケロ(Wikipediaより ©Glauco92 CC by 3.0)

日本大百科全書の教養を見てみると、教養とは人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさすとあります。

教養ということばの原語である英語やフランス語のcultureがラテン語のcultura(耕作)からきていることからわかるように、土地を耕して作物を育てる意味だったものを「心の耕作」に転義させて、人間の精神を耕すことが教養であると解されている。その「心の耕作」cultura animiという表現を初めて用いたのは古代ローマのキケロである。

教養(きょうよう)とは – コトバンク

人間の精神を豊かにしていく過程と成果=心の耕作が教養というわけです。

ここで今年度からの新しい学長である來生 新氏の放送大学はなぜ需要があるのかという点について、実利では説明がつかない部分について次のように述べられています。

人間の知的な好奇心が満たされること、それと不可分の、学ぶことを通じて自らが、なんらかの意味で、より良い存在に変わりうることの予感ないしはその実感ともいうべきもの、それが学び続ける一瞬一瞬に大きな充実感を与える根源的な要素ではないかと、私は考えます。

学長からのメッセージ | 放送大学

より良い存在に変わりうることの予感ないしはその実感というのは、なかなか心の耕作という言葉が刺していることをわかりやすく表しているのかなと思います。

教養=「一人で時間をつぶせる技術」

さて、教養の原義などに触れてなんとなく精神を豊かにする感じのアレなのかなという感じですが、放送大学の教養はエネルギー、生きる力であるというところにすぐには通じないのではないかと思います。何となく、余裕のあるクリエティブクラスのような階級の人達のものなのではないかという印象が拭えません。

放送大学の教養はエネルギーだというキャッチコピーを見たときに真っ先に思い出したのがphaさんの無職の才能というエントリと、そこで触れられている中島らもの言葉です。

「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。

『今夜、すべてのバーで』中島らも

ここは僕の経験的にもかなり実感できる部分です。大抵の場合、しばらくするとやることがなくなってネガティブなループに陥って精神がアレして無職を続けることができなくなります。

今はネットで膨大な量のコンテンツを受信できるようになりましたが、例えばそれらのコンテンツを受診する側にそれらを読み解く力であったり色んな面から楽しむ姿勢であったり、それらを受容できる精神的な余裕がないと必ずしも楽しめるわけではないのかなと思います。心の耕作という文脈で言うならば、いくら膨大な量の種を蒔いたところで、凝り固まった土壌を耕さないと決して芽は出ないというところでしょうか。

教養は一部の階級の人だけでなく、およそ最底辺に近いところである無職にも必須の概念ということで、これで放送大学の教養はエネルギーだというフレーズは確かにその通りだなと思うに至ったわけです。

今は放送大学で心理学を勉強していますが、まるで人間の仕様書を見ているようで、自分の認知機能を見つめる上でもかなり強力な武器になっています。放送大学の勉強は無職とかニートの人こそ必要かなと思うので興味のある人はぜひ受講してみてください。

俺はもうダメだ。

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