初歩からの無職

『人間の生と性』を呼んだ

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  • 生物学

目次

  • I 性の意味
  • II 性の分化と生長
  • III 性と進化
  • IV 人間の性をあやつるもの
  • V 性の季節性
  • VI 社会と性

感想

1982年の本で、メルカリで『性の源をさぐる』(1986)とセットで売られていたのを入手しました。古書を触るとめちゃくちゃ痒くなってなかなかしんどかった。同じく80年代に同じ岩波から出された性をテーマにした生物学系の本ということで、面白そうなので読んでみました。

著者は近藤四郎氏と大島清氏で、京都大学霊長類研究所つながりでの共著のようです。近藤は人類学、大島は医師で生理学というバックグラウンドなので、それぞれ進化と生理学の面から生物の性について検討しています。

随所に80年代と現代との文脈の違いを感じさせるところがあります。例えばこの本では自然選択が作用する単位は「種の保存」であるという考えが前提に置かれています。この現在ではナイーブな群選択と呼ばれるものから、現在の遺伝子中心視点への移行のきっかけとして挙げられるのは1975年のE.O.ウィルソンの『社会生物学』と1976年のリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』です。そうしたパラダイムの移行期の中で、今西錦司の霊長類学系の流れを汲む著者らが種社会の視点で本を著しているのをみて、一人で勝手に胸熱くなっていました。

他にも同性愛やアセクシュアルが疾患としてICDでカテゴリーされていたり、はたまた後に疑義が出されることになるール・イルメンゼーやマーガレット・ミードが紹介されており、タイムスリップして当時の空気を吸っているような感覚になります。特に最後の章は二人の対談形式になっていて、その中で「苛烈な受験戦争を背景とした母子相姦」というものが社会問題となっていることが述べられています。母子相姦は近親者からの性暴力の中でもかなり稀なケースでそれは当時も変わらなかったようですが、母子相姦が実態以上に問題視されていた当時の社会情況が生々しく伝わってきます。

近藤は"本来不即不離であるはずの性と生殖を分断したところに、現代の性の歪みが始まっている"とし、さらに"よりよき子どもをつくるために、愛情をもって配偶者を選び、そして性行動を営み、そして愛の結実を得る、性と生殖が愛という一貫性をもって行われるからこそ、人間の生命は尊いのではなかろうか"と高等生物本来の性行動が人間の生命の尊さにつながると主張しているのですが、これは堪えきれずオエーッ!!ってなりました。そもそもヒトの遺伝子型の変異の幅が非常に広いと考えが下地にあるようですが、ヒトが他の動物よりも極端に変異が少ないということがわかるのももう少し先の話になってるんですね。

『性の源をさぐる』で扱われていたのはより生命の基本原理に近い話なので、今読んでも色褪せる部分がないというのが面白い部分でもあったのですが、この本は霊長類やヒトという人間の社会に近い動物の話なので、逆に現在と当時のコントラストが非常にくっきりと浮かび上がってまた違った楽しさがあります。楽しいのでつい違いばかりに関心がいってしまいますが、大部分は進化の文脈や神経内分泌系の文脈での現在にも連続している性に迫る研究の話なので、勉強になりました。