この記事はごちうさ Advent Calendar 2017 17日目の記事です。劇場版もぴょんぴょんしましたね。期日に投稿できなくてすみません。
この記事はなぜごちうさを見ると人は心がぴょんぴょんしてしまうのかという永遠の課題について浄土信仰的文脈から考える記事になります。真面目に考察してる風を装っていますが、おっさんが美少女になりたいという記事です。
日常系アニメは浄土思想の現代バージョンだと最近周囲に力説してる
— たねのぶ (@mtane0412) January 21, 2017
家にごちうさグッズを飾りたいという気持ち、この世に浄土を表現したく平等院鳳凰堂を作った藤原氏も同じ気持ちだったことだろう
— たねのぶ (@mtane0412) January 30, 2017
さて、ごちうさは日常系アニメというものに分類されます。日常系あるいは空気系というジャンルはアニメのメインストリームと言っていいほどの流行を見せており、それには様々な要因があるとは思うのですが、その一つの側面に浄土信仰に通じるものがあるのではないかと個人的に考えています。
これはシロクマ(id:p_shirokuma)先生の異世界転生系コンテンツと21世紀の「浄土信仰」というエントリに詳しいです。なろう系の異世界転生モノについてですが、同じ文脈は日常系・空気系アニメにも通じるところがあるのではないかと思っています。
浄土教の広がりについて調べて行くと、爆発的普及の起爆剤となったのが平安中期、源信の『往生要集』です。浄土と穢土、地獄など日本人の死生観に決定的な影響を与えていますね。
平安末期からの戦乱と末法思想の広がりとも関連して、法然や親鸞といった浄土信仰のレジェンド達が庶民も救済に乗り出します。念仏するだけで往生できる浄土宗、もはや唱えることすらいらなくなった真宗など、庶民の救済のために仏法を分かりやすい形で伝達させた事が爆発的に普及した要因なのではないかと思います。
ここで注目すべきは、現世での救済が不可能と思われる状況下で人々が死後の浄土という理想郷に救済を求めた点です。この浄土信仰がシロクマ先生のエントリで言う所の厭世的な欲求を満たしてくれるコンテンツとして人々に物語を供給したことになります。
時代は下り、いつしかそういう絶望に対する救済を担ってきた宗教やそれらの物語を人々が信じられなくなってしまった現代で、厭世的な欲求を満たしてくれるアニメが物語を供給するようになっている面があり面白いという話ですね。
しかし、意識的にせよ無意識的にせよ、この手の死んで生まれ変わって活躍する作品群が「死後の理想」にひとつのかたちを与え、厭世的なファンの厭世的な欲求に、ひとつのかたち・ひとつのはけ口を提供している部分はないものだろうか。 異世界転生系コンテンツと21世紀の「浄土信仰」より
異世界転生コンテンツが厭世的な欲求へのひとつのかたちであるのと同様に、日常系アニメもひとつのかたち・ひとつのはけ口になっている部分があるのではないかと思います。
死という明確な境界のある異世界転生に対して、日常アニメの多くは現代日本が舞台となっていますが、それでも異界の匂いも併せ持っていると思います。ごちうさで言えば、ヨーロッパ風の街並みである木組みの街だけれども、学制であったり漢字の人名など日本の要素も強くある不思議な空間です。ごちうさはこうした不思議な世界観の作り込みが際立っていますが、例えばのんのんびよりにしても、あんな過疎地域に都合よく美少女が集結するわけがないという感覚もあるはず。ここが案外大事だと思っていて、自分たちが暮らしている環境にとても近い世界だけど、どこかが自分達とは違う場所で起きているという距離感、端的にいえばここではないどこかで繰り広げられる日常こそが日常系アニメの異界感の源泉なのでしょう。
とは言え、主人公が異界に足を踏み入れることから始まるのは物語構造で言えば一般的な脚本です。異世界転生コンテンツと違い、単純に日常系アニメが浄土信仰的な文脈を含んでいるわけではなくて、ここで重要なのはおっさん(視聴者)の美少女になりたいという強い想いです。
ここではないどこかは理想的な世界で、すべてが、かわいい日常は穢れのない浄土で、そこに行きたいという気持ちです。この美少女になりたい、美少女は無理でもいっそうさぎになりたいという願いを持った我々おじさんの存在によって日常世界は浄土のような理想郷的性格を帯びるのではないかと思うのです。
扉開けたとたん 見知らぬ世界へと そんなのないよ ありえない それがありえるかも ミルク色の異次元 コーヒーカップ 覗いたら Daydream caféより
天国や西方浄土が人々から信じられなくなってしまいましたが、ごちうさの世界にはそれがありえるかもと思わせる優しさがありますね。
思うに、人は誰しも心の中に美少女を抱えていて、ごちうさは自分の中の美少女との対話な訳です。コーヒーカップを覗いたら私が私を見つめているんですよ。心がぴょんぴょんするわけだぜ。
この世界で徳を積んで木組みの街に美少女として生を受けることに期待しつつ人生の苦を噛み締めていきましょう。